寒天の歴史について

江戸時代(徳川家綱の時代)に現在の京都府において、
旅館『美濃屋』の主人・美濃太郎左衛門が戸外に捨てたトコロテンの乾物から発見した。

黄檗山萬福寺を開創した隠元禅師に試食してもらったところ、精進料理の食材として活用できると奨励された。


同時に名前を尋ねられたが、まだ決めていなかったためその旨伝えると、隠元は「寒天」と命名したという。


その後、大阪の宮田半兵衛が製法を改良し寒天を広げる。


さらに、天保年間に信州の行商人・小林粂左衛門が諏訪地方の農家の副業として寒天作りを広め、角寒天として定着した。



1881年、ロベルト・コッホが寒天培地による細菌培養法を開発したため、
寒天の国際的需要が増えた。


このため、第二次大戦前は寒天が日本の重要な輸出品であったが、第二次世界大戦中は戦略的意味合いから輸出を禁止した。


寒天の供給を絶たれた諸外国は自力による寒天製造を試み、自然に頼らない工業的な寒天製造法を開発した。


こうして作られたのが粉末寒天である。

1946年になると日本でも研究が始まり、1970年頃には製造会社が35社にまで達した。


しかし、2004年現在は5社ほどにまで激減。


現在では、モロッコ、ポルトガル、スペイン、チリやアルゼンチンで良質の寒天が製造されている。

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/29131831

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。